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花の絵

         P1080423.jpg

◇題名 「白菊」 (サイズ:18.8×28.1cm)
ここのところ、紙や下地の具合をあれこれ変えて試していましたが、なかなかしっくりくるものがありませんでした。モチーフ自体も、形が変だったり線が粗かったりしてうまいこと描けずにいて、ひどい絵を大量生産し続けていました。
とりあえずとにかく少しでもマシなものが出来るまではと、ブログなどもお休みしておりました。

白い菊の絵です。近所の家に咲いていて、とてもきれいだったので描きました。
背景に迷いましたが、やや粗い状態で止めました。

毎回、頭の中には確実に何かの様子があるのですが、それを画面に表現するのはとても難しいです。多分に意図するだけでは駄目なのだろうと思います。筆が勝手に動き、偶然をも絵に取り込んでしまうような実力と経験とが必要なのでしょう。力の抜けた、それでいて緻密な絵が描けるようになりたいものです。

 ※こちらの絵はART-Meterで販売していましたが、先日お買い上げいただくことができました。
  この絵を選んでくださった方には、とても感謝しております。ありがとうございました。
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テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

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どくだみの絵

どくだみの花


◇題名 「どくだみの花」 (サイズ:30.0×15.1cm)
当初はどくだみ本来の色、青緑で仕上げようと思っていました。が、何枚か描いていたら突然、赤だなと思うようになりました。
日陰に咲くドクダミですが、ほっておくと、大増殖したりします。
日の当たらない場所でひっそり、何かをたくらんでいるような激しさがあるような気がします。

 ※こちらの絵はART-Meterで販売していましたが、先日お買い上げいただくことができました。
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特別展 磯江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才

練馬区立美術館で開催されている「特別展 磯江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才」を、見てきました。

リアリズムというジャンルの絵は、「要するにリアルに描いたものなんだよなあ」などと漠然と思っていました。もちろんリアルに描くというのは非常に難しくて、そう簡単にできるものでも無く、ものすごい技術が必要なことは理解しています。でもリアルということは、すなわち「現実に即していること」であり。現実というものは思っていたよりも美しく無かったりすることが往々にしてあります。
余計なものを一切フレームに入れず、ごく一部を切り取った観光地の写真などを見て、「きれいだなあ」なんて思って行ってみると。実際には、ただただ雑然とリアルに事物が存在していたりして、その様子には何となく幻滅を覚えたり。
「これが無ければ」とか「これがこうだったら」などと悔しく思い、その結果、ようやく「あの写真の風景はこの部分のみを、この角度から、ある特定の光の中で見た時のみに存在するのだな」と気付き、現実に打ちのめされたりします。

私はこれまで勝手に、リアリズムというものは、そんなものだと決め付けていたところがありました。
全てが描かれ、各要素がこれでもかと言わんばかりに盛り込まれ、やや過剰というか・・・。
「ここまで書き込む必要があるのかな」とか思ったり、「何が描きたいのかな」などと思ったり。
「すごいなあ」という以上の感情は湧かない絵のように勝手に思い込んでいました。

しかし、その傲慢で浅はかな考え方(相変わらず)は、今回の礒江毅展を見てまったく変わりました。
本当に大きな間違いをしていました。

礒江さんの絵を見て、リアルに描くということはそのものが本来持つ姿を大切にするということなのだなあと、ようやく気付きました。単に全ての要素を盛り込んで描く、という単純な話では無いのだとつくづく思ったわけです。
まっすぐなものはまっすぐに。
柔らかなカーブは柔らかく。
強い線は強く、柔らかい線は柔らかく。
大切に、素直に、一つ一つの要素を大事に描いた結果が、リアルになるのだとようやく気付きました。

そこには「これでもか」というこれ見よがしな感じは一切ありませんでした。
いたずらに捻じ曲げることなく、ただただひたすら事物の様子を追った印象があり、むしろ無欲でした。

果物や肉、カリフラワーの絵などもあったのですが、それらの絵にはこれまで見逃していた美しさがありました。
例えばカリフラワーなら、あのぼこぼことした様子の中に美しさや面白さ(新素材で作られた何かのような面白さ)が間違いなく、最初からあったわけです。
でも、これまでは何の気なしに見ていたので気付かずにいたわけで、礒江さんの絵を見てようやく、「きれいだなあ、面白いなあ」と気付いたのです。
たかがカリフラワーでもそこには確実に美があって、その美を大切に素直に拾った結果が絵となったのでしょう。その過程を考えると、本当に無欲です。


展覧会には、人物画(と、言えるのかどうかという不思議な絵でしたが)もありました。
女性を描いた絵なのですが、その絵では、例えば指などの肌の皺までもが丹念に描かれています。自分の指の皺を見ると、それはくっきり刻まれた醜いものなのですが、その絵の皺は繊細で柔らかく優しい一つの線になっていて、その様子はとても心地良いものでした。その結果、その絵は、「対象が本来持つ美を、全部拾いたい」という優しさが動機となって描かれているように見えます。
ただ、実際に、美を拾い取る過程に入るとこういう余計な感傷は消えるのでしょう。
そのせいか、ひたすら冷徹に対象を見つめる、画家の冷たい目線も同時に感じ取ることもできます。

こうして出来上がった絵には不思議な矛盾があって、それが奇妙な印象を残します。リアリズムに徹しながらもどこか幻想的で、見事なほど現実を写し取っているのに、その結果は驚くほど非現実的です。

この絵の背景は、一切描かれていません。
丹念に塗りつぶされたのみとなっていて、その女性がどのような空間にいるのか分からなくなっています。
つまり背景に描かれているのは、どこまでも続く「無の世界」です。
(『無』を描く。この行為もまた矛盾しています。そんなことが可能なのかと思いますが、可能なようです。)

この永遠に続く「無」の中に、横になった女性の姿が描かれています。
その様子は横たわっているようにも、浮かんでいるようにも見えます。
生きているのか死んでいるのかも分からず、ただそこに存在するといった具合で、その様子が不思議でなりませんでした。



●特別展 磯江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才
 
 会場 練馬区立美術館(貫井1丁目36番16号)、 西武池袋線 中村橋駅下車
 会期 平成23年7月12日(火曜)から10月2日(日曜)
 休館日 月曜日、ただし7月18日と9月19日は開館、翌日休館
 開館時間 10時から18時(入館は17時30分まで)
 観覧料 一般500円 高・大学生、65歳から74歳300円 中学生以下および75歳以上無料
 主催 練馬区立美術館、朝日新聞社
 協力 彩鳳堂画廊
 後援 スペイン大使館

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プロフィール

Author:yukiko takeda
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絵はART-Meterで販売しています。

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